文芸誌『竜骨座』

自由な創作活動を楽しむ文芸・文学サークルcarina。文芸誌『竜骨座』の作成。

10月定例会と「SOSEKIチャレンジングアワード」

10月23日、オンラインで定例会を開催しました。

先月の定例会で決めた同人誌のテーマをもとに、各自が小説の構想を持ち寄りました。純文学、SF、ファンタジー、児童文学など、『竜骨座』らしく多様なジャンルを楽しめる同人誌になりそうです。

来年5月に発行・販売予定です。お楽しみに。

 

定例会後、くまもと漱石文学振興会が行なっている「SOSEKIチャレンジングアワード」に応募する作品の合評会を行いました。

夏目漱石の作品のその後を綴るという主旨のものですが、この「その後」をどう捉えるかが難しいですね。

登場人物たちのその後を書いてもよし、「もしその作品が現代まで続いていたら」という発想の仕方もよしだと思います。

漱石の作品世界を継承しつつ、サークルメンバーそれぞれのカラーが生きた作品ができあがりました。

 

来月は外部参加の交流会を実施予定です。

詳細は、ブログ・Twitter・HP等で追ってお知らせしたいと思います。

文学フリマ福岡に行ってきました

今年からCarinaに福岡支部ができました。

出店は残念ながら抽選漏れしてしまったので、今回は客として福岡文フリに初参加しました。

 

規模感こそ東京には及ばないものの、人の熱意はそれ以上だったのではないかと感じました!

来場者数も過去最多だったようです。

 

無料配布の読み物をたくさんいただきました。

文章の傾向や同人誌のコンセプトなどが分かるので、購入する際の参考になります。Carinaでも取り入れていきたいと感じました。

 

購入した作品の感想はブログ・Twitter等であげていきますね。

参加された皆様、お疲れさまでした。来年はCarinaも参戦したいと思います。

9月定例会と小説リレー

 9月25日、オンラインで定例会を開催しました。

 議題は「来年5月に発行する同人誌のテーマについて」。今回決めたテーマをもとに、来月は各自作品の大筋を持ち寄ります。決定したテーマは追ってお伝えしたいと思います。お楽しみに。

 定例会のあとは小説リレーを行いました。

 各自が用意した書き出しに続けて、別のメンバーが順に小説をつなげていきます。

 四つの作品ができましたが、ここではそのうちのひとつを紹介したいと思います。

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【書き出し】

「どうですか、先生?」
 不安げな視線を投げかけてくる家族がいる。彼らに向かって、大槻は首を振った。
「まあ助からんでしょう。ここへ来るのが遅すぎた」
 重い沈黙が流れる。人々の横で、機械だけが無機質な電子音を響かせていた。

 

【続き①】

 娘さんがわっと泣き崩れる。その背中を夫が優しくさする。
 大槻はこの仕事に就いて30年のベテランだし、こういう場面には何度も向き合っているが、やはり人の死とは慣れないものだ。
 大槻は目をそむける新人看護師の肩をたたき、部屋から出ようとする。
「わっ」
 扉を開くと、そこにはどうやら扉の隙間からジッと中をのぞいていたらしい男の子が立っていた。

 

【続き②】

「あし」と男の子はこそこそと呟いた。
 「足?」と大槻は聞き返した。さも当然のように覗いているから彼を注意しなければならなかったが、それも忘れて男の子をじっと見据えた。おかっぱ頭で漆黒の髪。切れ長の目と乳白色の鼻筋の通った面立ちが印象的で、夏祭りに着ていくような青い甚兵衛を身につけていた。背丈は小学三年生くらいで、あまり快活そうなイメージはなかった。
 「左あしにあくまがいる」
 はてな、と思いつつも、大槻は長年の経験と勘から、「もう一回左足を見せてください」と搬送されてきた大柄な老爺のパジャマをまくり、左足を露出させた。大槻の豹変ぶりに、皆慄然としていた。

 

【続き③】

 老爺の左脚の膝の上に不自然な膨らみがあった。
「この瘤は?」
 付き添っていた家族は互いに顔を見合わせる。「どちらが答える?」と目顔で相談しているように、大槻には見えた。
 それも束の間、夫が答える。
「その瘤は良性の腫瘍です。もう何十年も前から別の病院の先生に見てもらっていて、悪いものじゃないからそのままにしておいて問題ないと言われているものです。今回のことには関係ないと思いますが……」
「なにがどう関係しているか分かりません。ご家族の了承さえ得られれば、手術で切開してみたいと思いますが」
 家族の様子がおかしい。先ほどまで泣きじゃくっていた妻が、涙を拭きながら言う。
「でも、もう十分頑張ったから、これ以上の処置はしなくてもいいんじゃないかしら」
「先ほどは『助かるためならなんでもしてください』と仰いましたよね?」
「ええ……」
 半ば強引に大槻は手術に踏み切った。


 老爺の左脚の瘤からはSDカードが出てきた。
 記録されていたのは二十年前の事件の証拠写真だった。
 この家族はある縁日で少年を誘拐し、監禁した末に死に至らしめたのだった。
 老爺は死に、家族は逮捕された。
 大槻はその後二度と青い甚平の男の子を見なかった。

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いかがでしょうか。

書き出しを書いたときには想像もしていなかったところに話が落ち着いたり、自分が考えていたことと違う受け止め方があったり、なかなか面白かったです。

みなさんだったら、このあとどうバトンをつなげますか。

「ショパン、聴いてきました」

お盆休み、いかがお過ごしでしょうか。台風が去ったかと思えば今度はカンカン照りで厭になっちゃいますね!

むしゃくしゃしたので、先日ピアノのソロリサイタルを聴きに大宮へ行ってきました。毎日ショパンを聴かないと脳髄が狂ってしまう人間なので、プロのピアニスト、髙木竜馬さんの演奏は心に来るものがありました。
2曲目の『別れのワルツ』は、やはり素晴らしいです。ポーランド貴族のマリアとの身分の差による破局の後に作曲されました。曲中では『恋しさと せつなさと 心強さと※』(※Z世代にもわかるように補足すると篠原涼子のヒット曲です)を感じられましたが、隣のお客さんが感涙していたのが、印象的です。3曲目の『子犬のワルツ』も指捌きが達者で、圧巻でした。

アンコールの前のラスト、『英雄ポロネーズ』は、やっぱり本物のピアニストが弾いたら感動してしまいますね! 毎朝目覚める度に辻井伸行が演奏するものをApple Musicで聴いているのですが、生の演奏を聴いたら痺れました。

ちなみに、ポロネーズという曲名はお察しの通りショパンの祖国ポーランドに由来します。ショパンは熱狂的な愛国主義者でした。史上初の2回のノーベル賞受賞で有名なキュリー夫人マリー・キュリー)もポーランド出身で、発見した放射性元素を「ポロニウム」と名付けました。ロシア帝国とプロセインに挟まれた悲劇の国ポーランドへの愛は、異分野でも繋がっています。

「夏なんです」


酷暑と、熱帯地方を彷彿とさせるスコール(豪雨)の繰り返しでまいってしまいますね。就職で上京して3年半経ちました。西日本より東京は涼しくて過ごしやすかった筈でしたが、最近は全然そんなことはなく、ひたすら熱波に打ち拉がれています。

耳学問にはなりますが、縄文時代は今よりさらに気温も高かったようです(e.g. 縄文海進)。マラリアといえば東南アジアやアフリカなど熱帯や亜熱帯の話に思えますが、日本でも平安時代などで「瘧(おこり)」と云って古文書にも頻出の、謂わばよくある病の一つだったようです。日本でマラリア蚊を駆逐できたのは戦後になってからです。

近年の気温上昇を考えると……、何とも恐ろしい話です。

『市民ケーン』(原題:Citizen Kane, 1941)

『第三の男』で有名なオーソン・ウェルズ監督のアメリカ映画。

 不朽の名作として、必ずといっていいほどヨーロッパでも名前が挙がってくる映画(c.f. https://m.imdb.com/title/tt0033467/)。

 「バラの蕾(rosebud)」という謎の遺言を残し、この世を去ったかつての新聞王Kane。幼少期に縁あって銀行家の養子(のような立場)となり、世界でも有数の大富豪となる。

 作中では、インタビュアーが、Kaneの周囲の人物から聞き取りを進めるという形式で「バラの蕾(rosebud)」の謎に迫っていく。だがしかし、最後までインタビュアーはその謎を解けずに終わる。

 制作されたのが1941年(太平洋戦争が始まった年!)とは思えないほど現代チックかつ汎用的で、パンフォーカスや、ロー・アングルなど、当時としては画期的なあらゆる映画技法を用いている。

 『東京物語』で著名な小津安二郎も、徴兵先のシンガポールで、捕虜の米軍からかっぱらったこの映画を観ることができたというのは有名なエピソードである。

 個人的な感想としては、全体的にストーリーに無駄がなく、序破急が非常にしっかりとしていた印象である。映画技法に新鮮味が感じられないのは、後代の映画監督が皆この映画を一様に模倣したからであろう。

 とはいえ、やはりチャップリンの映画の方が浅学菲才な私の性分には合っていると思う(但し、Limelight を除く)。

廣瀬 和巳

「石原慎太郎と西村賢太が死んだ」

 

歯に衣着せぬ物の言い方で有名な二人が立て続けに死んだ。
太宰や安吾のような無頼派とも一筋違う、まさに己の身をもって無頼漢のような生き方を体現した二人だった。それだけに世間の反撥も凄まじいものであっただろうし、気の休まる時間も少なかったのではないか。

石原慎太郎。『太陽の季節』を読んだのは高校一年のとき。あの斬新な障子の破き方には舌を巻いた。右寄りの政治的発言やマイノリティを徹底的に蔑視する姿勢には、全く同意できないが、文筆家としての才能は本物だったと思う。

西村賢太。『苦役列車』、『無銭横町』で描いた異邦人としての主人公「貫多」は、氏の姿、生き方そのものである。氏が書き上げた古式ゆかしい私小説の数々には、同世代の人間がバブル景気で浮かれている日本の暗部がありありと描かれている。

そうした哀しい訃報が続いたので、居ても立っても居られなくなり、中華屋で安くて不味いカップ酒をあおった。1か月ぶりの外食だ。ほろ酔いになり、不器用だけれど最期まで己の信念を貫いた二人の人生について、色々と考えてしまった。