文芸誌『竜骨座』

自由な創作活動を楽しむ文芸・文学サークルcarina。文芸誌『竜骨座』の作成。

数字と身体性

最近気になったのだが、数字とは記号が指し示している抽象概念だと認識しているのだが、人間は9999より1とか2の方が容易に把握できるのは、記号として数字が1に近い方が(ここでは難しいので正の整数に限定したい)身体的だからなのだろうか。
また、抽象概念が身体的であるとはどのようなものなのだろうか。
個数を数える文脈では視覚的情報も含め認知コストは低いと思う。個数の理解する際、数が小さい方が「ここには何個の〜がある」と認識するのが容易だと思う。
ただそれに加えて1や2は9999と理論体系の中では同等の記号であるはずが、1や2のほうが概念としても容易に把握できる(と大衆の中で思われている)ということはないだろうか。例えば幼児に1って何?と聞かれた際には我々は説明を試みるが、9999って何?と聞かれた際には「大きい数」という数で終わらせることはないだろうか。
指が10本だから10進法が普及していると仮定すると、数字が身体性を孕むのか、身体性が小さい数字を孕むのか、再考する必要性を感じた。