文芸誌『竜骨座』

自由な創作活動を楽しむ文芸・文学サークルcarina。文芸誌『竜骨座』の作成。

皐月

取り留めのない話(五月は憂鬱の前触れ)

五月も終わりに近づき、政府は緊急事態宣言を解いた。まだ感染症の脅威が去ったというわけではないのに、なぜ解除したのか甚だ疑問である。
そして、私の職場も在宅勤務がなくなり、出勤しなければならなくなった。せっかくの朝寝坊が来月からなくなるかと思うと、極めて遺憾である。
こう言うと私は大変怠惰な人間であるかのように思われるかもしれないが、そんなことは多分ない。
だって考えてもみてほしい。外にはまだ、マスクをつけない無神経な爺やヒステリックを起こす婆、中には感染しているにも関わらず不幸のお裾分けを押し付けてくる暴徒がいる。こんな中、外に出たいと言うのは、陽キャかメンヘラくらいなものではなかろうか。
そう、我々はもっと自粛すべきなのだ。

それはさておき、件の感染症がなくとも、この時期が病みやすいものだと思う。季節の変わり目で体調を崩しやすいというのもあるが、色々限界のくる時期なのだ。
例えば、進学進級した者や新入社員などがそうだが、新しい部署に配属された者は皆一様に無理な表情を作る。いかに勤勉であるように見せかけるか、いかに面白い人間だと見せかけるか、策を弄し演じるのだ。
しかし、人間は所詮堕落した生き物に過ぎない。化けの皮が剥げるのも時間の問題で、その限界の時期というのが、まさにこれくらいの時期なのである。
かく言う私も、この四月に部署が変わり真面目を装ってきたが、いい加減バレる頃合いである。
いっそ逃げ出してしまいたい。そう言いたいところだが、私はインドア派なので引き籠りたいといった方が良いだろう。
そう、我々はもっともっと自粛すべきなのだ。

さて、これまで散々に自粛したいと書いたが、書き終えてみれば、まあいいかと思えてくるから不思議なものだ。
だから結局、ここまでの取り留めのない話が何だったのかというと、ただの愚痴だったというわけである。
それでは。

※おまけ
そういえば学生時代の話だが、ぼっちで無口な私は、この時期になってくると、クラスの陽キャが面白がって声をかけられて、夏頃にはすっかり飽きられるという経験を幾度となくしていた。これも人によっては病みそうな案件であるなと思った。